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ハミングトーク

子育てにはマニュアルがないから、苦労もあるけどやり甲斐もあるのでしょうね。

母は母親を120パーセントしていました。

― 小学校の1年生の時に、お父さまの佐田啓二さんが亡くなられたんですね。

中井 事故でしたので、それこそある日突然の出来事でした。それは私たち家族にとってはものすごい変化です。そんな中、母は父の残したものを何一つ手放すことなく、父がいた頃と何も変わらないそのままの状態で、私たち姉弟に不自由を感じさせることなく育ててくれました。それが亡くなった父への最高の愛情だったのかもしれません。当時の映画俳優にどれほどの収入があったのかはわかりませんけれど、父はそれだけのものを残してくれて、母は主婦として働きには出ずに、倹約しながら育ててくれたのです。

― お母さまは父親と母親の二役もこなされたのですね。
中井 貴惠

中井 いいえ、二役ではなく母親を120パーセントしていました。母は36歳で未亡人になりましたが、再婚するなどということは微塵も考えたことがないはずです。今でも父のことが大好きなんです。祖母が同居してくれたことも心強かったでしょうが、戦争を経験したあの世代の人たちの生きようとする力は、私たちにはかなわないものがありますよね。困難を乗り越えて、何ごともなかったようにしてしまうのがすごい。おそらく私たちを連れて死のうと思ったこともあったでしょうが、そんなことをまったく感じさせない母です。

― ご自身が振り返ってみて、そんなお母さまの教育方針はどのようであったと思いますか。

中井 なんたって、母は日本一恐い存在です。うそをついても必ず見破られてしまうので、うそもつけない。ただよく言っていたのは、母子家庭といってもうちは望んでそうなったのではない、ということ。だからこそ、父親がいないことをハンディと思わないように、また寂しい思いをしないようにしてくれました。かといって、ベタベタとした愛情はまったくなくて、言葉でほめてもらったという記憶がありません。でも、家に帰ればいつでも母がいる、そして私の出た映画やTVドラマは一つ残らず見ているというような、行動や態度で愛情を表現する母です。

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